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お前にわたしは救えない。わたしでさえわたしを救えないのに。 わたしの行動や思考は殆ど自傷行為でこれは緩やかな自殺とも言い換えられるんだけど、ロックスターじゃないから元気に27歳を迎えるんだろうし、カリスマでもないから31歳にもなれるんだろう。31歳だと少し遠すぎてうまく想像ができないけれど。何だかしにたい気持ちです。 わたしの中での自尊心とプライドは意味合いが大きく異なっていて、自尊心の欠片もないけれどプライドはとても高いからバランスがうまく取れなくていつもフラフラとしている。虚栄を張り続けなけりゃ死んでしまうよ。 九紫火星の持ち味は、美しさに対する鋭いセンス。 表現力も備わっているので華やかなオーラを放ち、人目を惹きつける存在です。 インスピレーションを言葉と行動に置き換えるのが得意。クリエイティブな目標があることを周囲に堂々と示し、競争も厭わずライバルを決めて走り出します。しかし形勢不利になると感情が不安定になり、せっかちな行動が勇み足に終わることもあるので要注意。独創的で美のセンスに満ちあふれた世界では、人の心を読みコントロールする才能が発揮されます。そういう意味では、恋愛も当然、華やかさに彩られています。九紫火星の人を取り巻くファンは多く、恋人には事欠かないでしょう。しかし目の前のリアルな相手よりも、どこかにいるはずの理想の相手を探して、いつもどこか落ち着かないのも性分。仕事面は、その感性を存分に活かせる分野において想像力と実行力を発揮すると、社会的名誉や名声が手に入るでしょう。 美しいものがすき。 美しくないものは去ね。 高価で美しいものを身に纏い、飾り立て、取り繕った美しくないわたしは占いにすがる。 死にたくなれば死にたくなるほど強迫観念のようなナニカに駆り立てられて本やら服やら化粧品やらを買い漁る。今日は銀座でマツエクをしAKIRANAKAのパンツとBALENCIAGAのバングルとshuuemuraのフェイスパウダーとアイフォイルを買った。これってもしかして滅茶苦茶生に貪欲ってことじゃあないですか。明日はネイルだよ。 ふと我に返りブスが着飾っても滑稽なだけでは…?と思わなくもないんだけど、ブスを免罪符に色々と放棄しているガワが本当に本当に嫌い。なので、わたしは装飾過多に。 くだらないよね。

無垢の祈り

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最近といえば本をろくに読まず(読めず)、渋谷アップリンクにて絶賛公開中、平山夢明原作「無垢の祈り」を公開初日に見てきたり。してました。しかも上映後にはトーク付き。 原作を初めて読んだのはもう何年前か忘れてしまったけど、そのグロテスクなまでの鮮烈さと我々の直ぐ隣にいる不条理に気付かされた衝撃は忘れられない。「独白するユニバーサル横メルカトル」のなかで一番印象に残っている本作が映画化された(される)と知ったのは数年前だったか。それから完成したものの上映できないだとか平山さんでさえこれは流石に…と言っただとかそういう情報だけは入ってくるのに公開はされない。Youtubeにあげられたプロモーション動画を見るしかない。本当に東京で見ることができる日がくるのかしら?とさえ思っていた、のに、見れちゃったよ。渋谷で。とても近い。 映画を見に行く前に原作を読み返す。やっぱり心がひりひりとする。雑多な渋谷の街で人の波をずんずんと掻き分けながら歩く。上映がはじまるまでどことなくずっと緊張していた。あそこはどう表現されるのかな。あそこはちゃんと描写されているのかな。原作の「無垢の祈り」はハッピーエンドだとわたしは捉えているんだけど、他の人はどうなんだろう。 ああ、全て、杞憂だった。映像から、音から、圧が物凄かった。それこそ呼吸すら忘れてしまいそうになるほど。中盤から後半にかけては両手を固く結びずっと何かに祈っていた。早く助けて。早く助けて。早く。お願い。 上映後のトークショーで平山さんが「小説は読者と双方向の関係にあって、読者が文章から情景を想像することができる。でも映像は一方的にイメージを、情報を見ている人に与えるものだから、そのイメージが見ている人の想像を超える可能性があってそれを超えてしまうとまずい(意訳)」と言っていたが、わたしは凄くいい意味で圧倒された。見てよかった。視覚と聴覚から得られる情報がわたしを支配し、わたしの解釈とは異なる方向からの解釈を提示されてもなるほどと素直に受け入れることができた。しかしフミちゃんの義父役を演じたBBゴローは凄まじかったなあ。生理的、本能的な嫌悪感しか感じなかったし、ラストはこの程度じゃ生温いとさえ思った。 人が何かに救いを求めたり祈ることで少なからず心が軽くなることがあるわけで、その対象がなんであれその行為自体に貴賎は

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もう8月も終わるっていうのに7月のまとめ。 メンがヘラり気味なので本が全然読めない。 本が読めないからヘラっているのだとしたら即刻本を読んだほうがよいですね? シン・ゴジラもサマソニのイエローモンキー、レディオヘッドも何もかもが素晴らしかったです。 なのにわたしはふと気付いたら四半世紀も生きていた。しかしだいっきらいな7月は死んだ。 わたしはロックスターじゃないから27才で死ねないのかもしれないなあと考えるとSAN値がガリガリガリ削られていく。 弐拾五歳 妊娠して人形を産む 父は人体模型であると謂うが誰も信じない 寺山修二      2016年7月の読書メーター 読んだ本の数:8冊 読んだページ数:2791ページ ナイス数:109ナイス ヤギより上、猿より下 の 感想 「デブを捨てに」に引き続き、タイトルからは想像もつかない胸糞悪い系の詰め合わせ。つまり、ザ・平山夢明。「独白するユニバーサル横メルカトル」収録の「無垢の祈り」と同じく子どもへの虐待がテーマとなった「パンちゃんとサンダル」はリアリティマシマシで、何より人が一番怖いのだと再確認。あぁめでたしめでたし。饐えた匂いが漂う表題作は色々な意味でキレッキレで読後感は激烈に爽快。何故だよ。ブスで莫迦の「おかず」が一生懸命で泣けるんだよ。おかしいだろ。最高かよ。 読了日:7月1日 著者: 平山夢明 佇むひと―リリカル短篇集 (角川文庫) の 感想 リリカル=叙情的、叙情詩的。リリカルな哀愁と優しい悲哀と凝縮されたセンチメンタルが散りばめられていて、ナニカに心を掴まれるような短編集。いつものスラップスティックは無く、じんわりと後味が長く続くものが多い。特に「碧い底」「佇むひと」「睡魔のいる夏」「白き異邦人」「母子像」は格別で、どれも柔軟な発想でニクイ捻りが効いているのに、じわじわと緩やかな死へと続いていくような少し不思議で悲しい読後感。時折ぞっとするような一文が目の前に現れて、ああ正にリリックのようだ。 読了日:7月2日 著者: 筒井康隆 ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワ文庫JA) の 感想 DX9。日本製家庭用少女型ホビーロボット。通所、歌姫。彼女たちは落ち続ける。近未来のヨハネスブルグ、マディバ・タワーから。ニューヨークの貿易センタービルから。ア

3月

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3月も全然読めなかったなあと振り返っていたら4月も半ばに差し掛かっていることに気付き愕然。 わたし、タイムリープ、してる。 それなりに慌しく、それなりに体調が悪く、つまりは通常営業ってわけでして。 傀儡后を読んだからカエアンの聖衣新訳を早く読みたいな。嗚呼皮膚小説。わたしはわたしのために着飾りそして戦うのだ。しかしラファティが面白くて面白くて面白くて。なのになかなか読み進められずもやもやとしている。積み本の高さが増していく日々よ。 最近はといえば、ファッセタズムのとってもおかわいいブルゾンを買い欣喜雀躍するなど。パーツがばらばらになっていてリボンで繋がっているとてもかわいいヤツ。好きなお洋服と似合うお洋服が違うということは往々にありまして、しかしそれに気付いていないのかあえてシカトを決め込んでいるのか分かりませんが勿体無いナァと思う人が世の中にはたくさんいますね。 わたしは好きなお洋服が大抵似合いますので、こういうときだけ背が高くてよかったなと思う。 本と服食って生きてるよ。サバイブ。トライブ。ネバエバダイ。 2016年3月の読書メーター 読んだ本の数:8冊 読んだページ数:3080ページ ナイス数:84ナイス 書楼弔堂 破暁 の 感想 江戸から東京へと移ろいゆく混沌とした時代に生きる迷い人に、大量の蔵書(曰く、墓)から一冊の道標となる本を差し出す店主。本を弔うから、弔堂。世界観がドストライクなのは言うまでもなく、史実と虚構がうまくリンクしているところも大変興味深い。他の京極作品とオーバークロスしている部分もあり、思わず口が緩む。読まれぬ本は紙屑だが、読めば本は宝となる。宝と為すか塵芥と為すかは人次第だと店主は言い、自分にとって至高の一冊を見つけるために本を読み続ける。わたしの一冊は、多分まだ見つかっていない。 読了日:3月1日 著者: 京極夏彦 ハサミ男 (講談社文庫) の 感想 何度読んでも見事で鮮やかなトリック。無論ネタバレ厳禁。綺麗に纏められていて小気味良い。淡々とした語り口や曖昧なのに繊細な描写は勿論、随所に散りばめられたミステリーネタがツボ。シリアルキラーに限らず犯罪者の内面を世間は掘り下げがちだけれど、自分自身もよく分かっていない深層心理を憶測で断定することで安心を得るというのは如何なものかしら。何を持って安心でき

1月

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ぜんぜんよめてないです。 数多アル併読本から読了したもののみ。 皆々様方が怒涛のように本を読んでいらっしゃって唇かみ締めてる。 そういえば先日何故か大阪に行ったので空き時間に本屋巡りでもしようかしらんとひとりごちていたのに、迷いに迷い駅から徒歩10分のところを40分歩いても辿り着かず(もちろんグーグル先生にも街往く人にも頼った)、ふてくされて結局どこの本屋にも行けなかったというなんとも残念な事象がありました。 2016年1月の読書メーター 読んだ本の数:8冊 読んだページ数:3127ページ ナイス数:100ナイス 告白 (中公文庫) の 感想 内向的かつ思弁的で(しかしそれは全く理解されていない)、思考と言語の結び付きが上手くいかないなかなか難儀で不器用な主人公、城戸熊太郎。実際に起きた事件はいまだに河内音頭として歌い継がれ、これを町田康的解釈で再構築した本作。常時内で垂れ流されている思考を如何に言語にして外に伝えるか。語彙や表現が乏しいという理由から自分の中で齟齬が生じてくるも、それを伝える術がなく途方に暮れ、ただ阿呆な奴と思われる。何故伝わらないのか何故理解してくれないのか。堂々巡りの内に何処に辿り着き、何を告白するのか。圧巻。 読了日:1月30日 著者: 町田康 ファイン/キュート 素敵かわいい作品選 (ちくま文庫) の 感想 国内外古典新作問わず、素敵でかわいい、素敵にかわいい名文を集めたアンソロジー。只々無垢なキュートから、言葉の奥から漂ってくるようなファインが絶妙なバランスで散りばめられていて何処か胸が苦しくなる。以前読んだことがある作品も高原さんの素敵な章立てや、前後に並ぶ作品によって捉え方が変わってくる。お気に入りは「雀と人間との相似関係」「鈴木恒夫十三首」「鳥」「うさと私(抄)」。幾つになってもかわいいものはかわいいし、かわいいものを素直にかわいいと感じる心を大切にしたい。かわいいは偉大。 読了日:1月28日 著者: 高原英理 ウィスキー&ジョーキンズ: ダンセイニの幻想法螺話 の 感想 ロンドンのとある通りにあるビリヤード台のない、ビリヤード・クラブ。小さな社交場で会話の中心にいるのは初老の英国紳士、ジョーキンズ。彼の体験談から語られる話は多岐にわたり、空想上の生き物が出てくるものから一攫千金を夢見た

0115

昨夜の記憶が全然ないんですがまあ全然っていうのは誇張表現で若干は覚えているんだけど眠っていたら起こされてえっなんで知らない人が家にいんの??は?????ホラー???事件????てなったしどのタイミングでらりりったのかよく分かりません。夢と現実の区別が本当につかなくて割と全てがあやふやなんですよ。もうババアだかららりりるとか本当にやめたいんですよ。やめましょうね。やめます。やめたいといえば最近スロージューサーが届いてほぼほぼジュースだけで生きてるんだけどそろそろ食べるのやめられるのかな?永遠に痩せたい。食べること自体が罪悪感なターンが周期的にくるんだけど今まさにそれでして。デブは罪詰み罪。クレンズジュースとサプリと薬だけで生きられたらなぁ。それ以上痩せないほうがいいよってよく言われますけどどの口が言ってるんです?てめえがデブだから仲間増やそうとして人のこと太らせようとしてるんですか?性悪か?だってわたしってば本当にデブが嫌いなんですよ自己管理もできねえのって。でもデブがいるからガリ普通デブのジャンル分けができるわけで、デブがいるからわたしが痩せて見えるわけで、これら諸々を踏まえるとありがてえよ。どうもありがとうねそのままでいてね(笑)あー違う昨日らりりってた話ですよ。最近糞みそに寝れなくて疲労とストレスしかたまってなくてフラストレーション半端なかったから無理矢理寝ようと思った。の。です。そうですそう思ってあれこれ色んなの飲んだの。で、薬が効いてきて前後不覚状態になってらりりちゃんのまま合うのは誰の所為。酩酊の内に在る内在意識なんて素面じゃ殆どファイル開けないんですよ。パスワード教えろよ。細切れになっている記憶はスクリーンで見ている古いフィルムみたいで音がやけに大きいのに声は全然聞こえないの。何か喋ってるはずなのにうまく聞き取れないの。怖くて切なくて寂しくて世界一遠い。ふとした瞬間に実感を伴う出来事ってあるんだなあぼんやりと、死にたい。絶望にサヨナラできそうにないよねえ助けてよ。嘘。煌々と光っているテレビは悲惨な事故を繰り返し報道していて日本人はいませんでしたいませんでしたいませんでした。何それ日本人はいるよ日本のニュースだもの。ああでも日本のニュースなのにね。ああ可哀想だなあて刹那的に思ってまた落ちて。と思ったら一瞬で覚醒しててさっきやってたニュースをまたやってる

食指と触手

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ここ最近の休日は引篭りには珍しく予定が詰まりに詰まっていた。 SUMMER SONIC 2015 HOSTESS CLUB ALL-NIGHTERにて 稲川淳二からのトムヨークをキメるなど。嗚呼クソサイコーだったなあ。 オーバーヒート気味なので暫し息を潜める。本を読みたい。常に読んでいるけれど。 本を買いたい。息をするように気軽に買ってるけど。足りない。もうそれは全然。 大量に積んでいる本を今すぐにでも読みたいのに、うっかり本屋に行きうっかり新たに本を買ってしまう。それも関連本は無限にあるわけで食指は動くし触手は伸びる。 なぜなら本は逃げるから。悲しいことに。 最近は言語に関するSFを読んでいる。今は月世界小説。 でもなんだか無償に飴ちゃん(飴村行)が読みたい。夏だからか。「コウ」と言えばもうすぐ出る町田康の常識の路上も読みたいし、夏なのに百鬼夜行シリーズ読まなくてどうするの感はある。筒井康隆も丸山健二もエーコもスタージョンも読みたい。時間、足りないなあ。 百鬼夜行シリーズを読み返そうキャンペーン、ついに陰摩羅鬼の瑕まできてしまった。 また追いついちゃう。これで何度目かな。鵺ちゃん~~~。 もうどうしようもなく息詰まると奥歯さんに頼るのは昔からの癖で、昨夜少し久しぶりに八本脚の蝶を開いた。前後不覚に陥っていたがいくらか呼吸がしやすくなる。MPが回復していく感じ。パラパラと今の私に必要な部分だけを摘出して、再び大事に本棚に仕舞う。 奥歯さんから随分たくさんの影響を受けたのは自明の理。 わたしはまだまだわたしを紡ぐのだ。わたしという書物はわたしが完成させる。 たとえ最後に壊そうとも。